セッケル症候群という珍しい病気で生まれた、みっちゃん。お兄ちゃんたちのことも織り交ぜて、健常児・障害児の枠を超えて育児や日々のあれやこれやを綴ります。
page top
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
まとめ日記②
前回のお話の続き(橋元聖子さんの講演会の内容)から

さて橋元さんはどうして7回もオリンピックに出場できたのか?
ご自身の答えは,「体が弱かったから」だそうだ。
ここだけ聞くと矛盾しているようにも思える答えだが,それには
こんな理由があった。(以下ご本人の立場で)

『小学校のとき,体をいっぱい動かしているにもかかわらず太った。実はそれは太ったのではなくむくみだった。腎臓病だった。
2ヶ月入院の末,2年間療養生活。
このとき,トレーニングで筋肉は鍛えられるが内臓は鍛えられないとわかり,食事の大切さ,病気の辛さを学んだ。

中学になってトレーニングの許可がおり再開。
下宿生活を送りはじめた。
だが,高3のとき,過度のトレーニングで病気の再発。
休むよう言われたことが辛かった。
病気との葛藤から胃炎,脱毛,肝臓病,呼吸器不全までも併発。
そこで,心理学療法(イメージトレーニング)の大切さも知り,それをはじめた。整形外科でリハもした。そこで,様々な障害を抱えながらも頑張る障害児達と出会い勇気をもらった。

オリンピックに何度も出たのは,心のトレーニング,心の持ち方(プラス志向)のお陰。
自分のこの経験,思いをみんなに伝えたい,そんな思いから政治の道に入った。

政治の世界に入り,任されたのは少子化対策のプロジェクトだった。
実は,過酷なトレーニングで体脂肪が8%しかなかったので出産は無理だと言われていた。しかし自分が子どもを産んでいないのでは,少子化対策を語れないと思い不妊治療を開始した。2年後,一人目を出産。4年後に二人目,そしてその2年後(昨年9月)に3人目を出産した。
結婚と同時に3児の母となっていたので,今は6児の母。

スポーツマンシップとお母さんの心を大切にこれからも活動していきたい。』

そう話されて30分の講演は終わった。
とにかくそのパワフルな生き方はすごい!の一言だった。
これまで,オリンピックに何度も出たことのある政治家,というくらいの認識しかなかったが,こんなにいろんな経験をされていたとは・・・驚きだった。
病気の辛さを体験し,障害児の頑張りを身近で見,母としての喜びも大変さも知っている,こんな橋元さんのような方に政治の世界で頑張ってもらわねば!そして,少しでもこの社会がみんなに優しく,生きやすい世界になれば,どんなに素敵だろう。活躍を期待したい。
橋元さん,応援してます!


まとめ日記,と題したものの,こんなペースではいつまでたっても今に追いつかないよなぁ・・・。う~ん,私には短くまとめるトレーニングが必要だ。。。
スポンサーサイト
page top
まとめ日記①
5.16《幼稚園遠足》
 パパはどうしても抜けられない仕事があったため,みっちゃんと二人で参加。天気があやしかったため,現地集合となった。クラスごとに自己紹介を交えたレクリェーションをして盛り上がり,その後は自由行動。お弁当を食べたり遊んだり。この日は3つの園の遠足が重なっていたので遊具のコーナーは人でいっぱいだった。みっちゃんは人がごちゃごちゃ沢山いるところに入っていくのは苦手。歩き出したもののみんなのいる方には行きたがらず,人気の少ない別の広場の方に行くとのびのび歩いたりして遊び始めた。しばらくするとポツポツきはじめたので,予定より早く集合がかかったが,まだ遊びたいと座り込んでアピールするみっちゃん。仕方なくバギーに乗せこみ慌てて車へ。乗り込んだ途端本格的な雨になったから間一髪だった。またゆっくり行こうね。

5,17《県P連指導者研修会》
 他の役員さん2名と鹿児島市内まで行き参加。うちの園長先生は県Pの会長もしてみえるので挨拶をされた。今進められている母乳育児推進に関連して,「積極的に勧めるべきだ。そうしながらも,母乳が出ない方達も”受け入れる”こと。その気持ちが大事。わが園には17~18名のハンディキャップを持った子たちがいるが,そういう子達も受け入れる。そこが大事。」そんな話をしてくださった。本当に,いろんな園で受け入れてもらえたら,どんなに素晴らしいだろう。行き場所がない子達もいる。小さい頃から当たり前のように自分の周りに障害をもった人たちがいたら,それが当たり前になって偏見や差別がずっと少なくなるのに,と思う。きっと周りで過ごすお友達にも思いやりの気持ちが育つと思うのだが・・・。
 園長先生,いいことを言ってくださいましたm(_ _)m
 
 さてこの研修会,講師はなんと橋元聖子さんだった。30分という時間だったのが残念だったが,心に残る話が聞けたし,そのパワフルさに元気もいただいた。
 橋元さんは,東京オリンピックの年に生まれ,父親が大のオリンピック好きだったため”聖子”と名づけられ,将来はオリンピックに行くんだ!と言って育てられたそうだ。大自然の中,酪畜農を営む家に生まれ,小規模校で育ち,冬場の遊びはスケートという環境の中に育った橋元さん,小1のとき札幌オリンピックを見たことがきっかけで,自然にスケートでオリンピックを目指すようになったとか。そのお父様は,とても厳しい育て方をなさったそうだ。それでも,ついていったのはそのお父様の心に深い愛情があったことをわかってみえたからだろう。お父様はよく,
「今,優しい親になるのではなく,20年,30年後に,この人に育ててもらってよかった,と思ってもらえるような親になること,困難を取り除いてあげるのでなく,一緒に乗り越えてあげる親になることが大事!」
と言ってみえたそうだ。
 そうだ,親はいつまでもついていてあげるわけにはいかない。でも,正直,耳が痛かった。最近長男のことで悩むとき,私の子育ては,これでよかったのだろうか,と思うことがある。自分が子どもの伸びる力を潰してしまってきたのではないかと。・・・だが,反省しだせばきりがないし,後悔も多々あるが後ろばかり見ていても始まらない。まだ長男は成長途中だし私も母親として成長の途中。そう,まだ間に合うはず。信念は変えないが,手法は考えなくては,と思った。
 
 話がそれたので本題に戻らねば!
 ・・・と思ったが,長くなったし睡魔が襲ってきたのでこの続きは次回また,ということで。ごめんなさ~い。
© 天使?小悪魔?みっちゃんと。. all rights reserved.
Page top
FC2 BLOG
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。